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2011年3月12日 (土)

M9.0

Imgp6529

Imgp6531 図書館で千葉や茨城の漁業史について資料探しをしたあと、友人に会うため新橋に着いたところで地震に遭遇、徒歩で自宅に戻りました。盛岡に赴任中の息子をふくめ、家族は無事でした。
生家のある海辺の町は、津波とそのあとを襲った大規模な火災のため、壊滅的な被害を受けました。地元で暮らす姉や妹の家族は無事でしたが、波の音が聞こえるほど海に近い病院で療養していた母の消息はまだつかめていません。病室は3階にあったので、無事でいてくれればよいのですが。[追記:病院は1階部分が浸水しただけで、母は無事でした]
アップした写真、1枚目は青山通りで、2枚目は表参道から富ヶ谷交差点に向かう途中で撮ったものです。

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コメント

こんにちは。
親爺が残した借家は、楢葉町にあります。
知己を得た人達の消息を携帯の消息版で探ってみても、記録が残っていません。
「大変ですね。」の一言のために通信事情の悪化を助長するような真似も控えたいので、ずっとテレビとネットで状況を探っています。
ですが楢葉町というと原発の事ばかりで、住民の様子を報道してくれるところはありません。
あの辺は第2から3キロ圏内ぎりぎりです。
外へ出られるとしても、逃げ場は6号線に頼るほか有りません。
とても心配です。

投稿: とっぷくぷ | 2011年3月12日 (土) 17時22分

>とっぷくぷさん
楢葉町や広野町、富岡町には、親類や友人がたくさん住んでいるので、これ以上シビア度が上がらないことを祈るばかりです。また、ぼくが生まれた町は、元は双葉郡で、いわき市の北端に位置しています。妹たちはすでに、第二から30km以上離れている姉の家に避難しました。いいようのない虚脱感があって、ぼんやりとテレビ画面をみています。

投稿: Rambler5439 | 2011年3月12日 (土) 19時54分

よかったですね。
こちらも、この世の終わりかと思いました。
最初は冗談で、ビルを揺すっている感じ、
次に、本気で、殺す気で揺すっている感じ、
長いから、いろんなことを考える時間があった。
一応、家族全員無事です。
おかげで、毎日、出勤、
当面ビルには入れない。これからが大変そう・・・

投稿: azuma | 2011年3月12日 (土) 23時48分

>azumaさん
実家のある久之浜では、52人が亡くなったようです。昨日、NHKで空撮映像を見ましたが、大久川河口部右岸の家並は完全に消失していました。妹たちは実家に戻ったものの、すぐに避難勧告を受け、赤井岳の近くに嫁いだ姉の家に身を寄せています。道路状況が落ち着いた段階で、車で向かう予定でいます。

投稿: Rambler5439 | 2011年3月13日 (日) 10時42分

お母様もご無事で何よりでした。
本当によかったです。

投稿: readymade_ayu | 2011年3月14日 (月) 12時31分

>readymade_ayuさん
ご心配いただき、傷み入ります。
これから何をすべきか。しっかり考えようと思っています。

投稿: Rambler5439 | 2011年3月14日 (月) 23時40分

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