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2011年1月11日 (火)

道と街

Imgp3800p わが国初の近代的な都市計画である市区改正は、道路の改良をおもな目的としていました。もともと山がちな地勢であるため道の勾配がきつく、河川も多いわが国の陸上交通は、もっぱら歩くことが基本で、牛車や大八車などごくごく一部の例外をのぞけば、幕末まで車輪の文化はありませんでした(なお、民俗学者の宮本常一は、在来馬が小型で馬車を曳くのに適していなかったことも理由の一つにあげています。大量輸送手段として水運が発達していたことも影響しているかも知れません)。万延元年(1860)、咸臨丸で太平洋をわたりサンフランシスコに上陸した福沢諭吉は、はじめて目にした馬車が動きはじめるまで、それが乗物であるとは気づかなかったという逸話が、当時の事情を物語っています。開国により輸入された車輪の文化は、またたくまに普及していくことになりますが、歩くことを前提につくられてきた従来の道に馬車を走らせることは困難で、ましてや都市交通の主役として注目されつつあった路面軌道(馬車鉄道や人車鉄道、のちの路面電車)に対応することはできません。都市改造の主眼が、いきおい道路の改良におかれることになった所以です。このとき形づくられたDNAが、日本の都市計画を大きく歪めることになったのではないか。つまり、子どもたちが外遊びできること、住民相互の紐帯を強くすること、あるいは商店街で安全に買い物できることといった街づくりに不可欠な要件を軽視し、ひたすら幅がひろく真っすぐな街路をつくること、そのために区画整理などを押し進めることが都市計画のドグマとなり、かえって街を壊す結果を招来しているのではないか。市街地再開発事業や区画整理事業が進められている街を歩くたびに、そんな思いが脳裡をよぎります。欧米に較べ火災に弱い木造家屋が多く、地震大国でもあるといった事情を勘案しても、だからといって真っすぐで幅の広い街路をつくりつづけることは、もう許されないと思うのです。
アップした写真は、昔ながらの小径や路地がのこる墨田区墨田でのスナップです。

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