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2011年1月

2011年1月31日 (月)

三河島の路地

Imgp6139p 荒川3丁目(もとの三河島町3丁目)の路地です。突き当たりはJR常磐線の土手で、ここから左手100mほどのところで国鉄戦後五大事故のひとつ、三河島事故が起きています。父が亡くなったあと虚脱状態に陥った母が心配で、1年ほど実家から大学に通ったことがあるのですが(各駅停車と特急を乗り継いで片道なんと4時間!!)、三河島の急カーブにさしかかるたびに、その頃のことを思い出します。二十歳でした。

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2011年1月30日 (日)

荒川的長屋景

Imgp6221 所用を片づけたあとJR常磐線三河島駅から千住大橋経由で北千住まで歩くつもりが、荒川の路地につかまり、もとの三河島町2丁目や8丁目をうろつくうちに日没を迎えてしまったのでした。アップした写真は、ほぼ3年半ぶりに訪ねた小径で撮ったものです。正面に写っている長屋の全体像はこちらを。かつて長屋の裏手にはこんな情景がありました(2007年6月21日に撮影したものです)。Imgp6884_2

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2011年1月29日 (土)

工場街の夕暮れ

Imgp55701_3 江東区内の道はすべて踏破する心づもりなので、なんの変哲もない住宅街ばかり拝まされる日もあります。そんなときは「明日があるさ」と笑みをうかべて諦観する・・・ことなど決してできない貧乏根性の持ち主としては、地形図にプロットしてある撮影ポイントへと早駆けし、写欲をみたすようにしています。東砂にあるパン工場と鉄骨加工工場に挟まれたこの小径も、そんなお約束ポイントの一つ。もともと輝度差が大きいうえに逆光となるため、思い通に写ってくれないこともあって、飽きずに立ち寄ってしまいます。

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2011年1月26日 (水)

日ノ出町路地景

Imgp61292 北千住の街には、1/10,000の地形図にものっていない路地がいたるところに走っています。柳原に隣接する日ノ出町でみかけたこの路地も、地形図にはまったく描かれていないため奥に入るのは遠慮したのですが、自宅に戻ってからGoogle Mapで確認したところ、通り抜けることができるようなので、次回は路地撮り用の大口径ズームを片手に突撃するつもりです。

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2011年1月25日 (火)

柳原夕景(4)

Imgp6028_2 荒川放水路の掘削以前、足立郡と南葛飾郡を画す小川だった道で撮ったものです。柳原の街が足立区に編入されるまでの経緯については、masaさんのKai-Wai散策に三層重ね地図を駆使した詳しい解説が掲載されています。柳原の一部は戦災を免れたこともあって、2丁目を中心に今も昭和中期の情景をいたるところで目にすることができます。

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柳原夕景(3)

Imgp6077_2 北千住シリーズがしつこくつづきます。といいますのも、ここのところ憑かれたように通っているからなのです。よろしくお付き合いください。アップした写真は、京成本線と堀切橋西詰の高架に挟まれた一画で撮ったものです。突き当たりは荒川放水路の土手。左手にはこんな通路があり、新聞配達か郵便屋さんのカブをいれた情景を狙っているのですが、なかなかうまい具合にはいきません。

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2011年1月24日 (月)

柳原夕景(2)

Imgp59481_2 片ボケの修理を依頼していたズームレンズが届いたので、所用で出かけたついでに試し撮りを兼ねて北千住まで足をのばしたのですが、絞りの加減がつかめず四苦八苦。しばらくは試行錯誤がつづきそうです。

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2011年1月22日 (土)

柳原夕景(1)

Imgp5797_2 「いいところですね」というぼくの言葉に、「いいところだったのよ」とアルファ柳原店のおかみさん。「毎日、縁日のような人出でした」と往年の賑わいについて話してくれたご夫婦ともども撮らせていただきました。

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2011年1月21日 (金)

本日休診

Imgp5659_2 北千住の街でみかけた歯科医院の窓です。

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2011年1月19日 (水)

清洲橋通り夕景

Imgp5599_4 JR総武線の平井駅から地下鉄東西線南砂駅まで歩いた昨日、葛西橋商店街(もとの葛西橋にちなんだ名称で、清洲橋通り沿いにあります)のはずれで撮ったバッテリー屋さんです(正面から撮ったものはこちらを)。2枚目は通りを挟んだ反対側の情景です。かつてこの道を都電29系統が走っており、もとの葛西橋の西詰に終点の葛西橋停留所がありました。Imgp5604_2

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2011年1月18日 (火)

南葛魂

Imgp5419_3_dxo66967 1/10,000の地形図"亀戸"と"青戸"に載っている江東区東部(いわゆる城東地区)や墨田区東部、江戸川区、葛飾区など荒川放水路沿いの一帯は、かつて南葛飾郡と呼ばれ、わが国を代表する工場密集地域でした。このエリアが海抜ゼロメートル地帯とほぼ重なっているのは、夥しい数の工場が競うようにして地下水を汲みあげた結果、地盤沈下が起こったからに他なりません。南葛飾郡は、同時に労働運動のメッカでもありました。関東大震災時に幹部ら10人が亀戸警察署内で殺されることとなった南葛飾労働協会はその象徴で、南葛魂(なんかつだましい)とも呼ばれたその戦闘性は、やがて総動員体制に組み込まれていった労働運動のそれとは一線を画すものでした。先日、アンドリュー・ゴードンの"職場の争奪"("歴史としての戦後日本"に収録)を読みなおしながら、戦後において主流となった企業内労働組合が、結果としてジャパンシンドロームの主因の一つともいえる非正規雇用や低賃金を生み出したのだとすれば、企業の垣根を超えて連帯する、地域に 根ざした南葛飾労働協会のような労働運動、あるいは個々の労働者の直接加入による産業別労働組合(現在の産別組合は企業内組合の連合体に過ぎません)、それらの連合体としてのナショナルセンターといったものが、これまでにないコミュニケーションの構造をもつ組織として構想されるべきなのではないかと思いをめぐらせた次第です。
アップした写真は、荒川放水路にほど近い東砂6丁目で撮ったものです(写っている建物の用途は不明)。この周辺では、いまも操業をつづける中小の工場をところどころで見かけます。ちなみに、このあたりの海抜はマイナス2m前後です。

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2011年1月16日 (日)

一力食堂のある街角

Imgp5209r 大島6〜8丁目を歩いたあとは、小名木川に架かる人道橋をわたって北砂の街へ、そしてここ一力食堂のある四つ角で、砂町銀座方面と東砂方面のどちらでマジックアワーを迎えるかを決めるのが通例になっています。つまりこの場所を通りかかるのは、いつも中途半端な時間帯。灯ともし頃の情景をと、ずっと思いつづけているのですが、なかなか果たせずにいます。

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2011年1月15日 (土)

北千住夕景

Imgp5295 X線、超音波およびCTスキャンによる検査にもかかわらず血尿の原因は依然として不明で、「こうなったら内視鏡検査ですね」と担当医。「ん?内視鏡って、どこから入れるんです」と訊ねたところ、「ここは泌尿器科ですよ。口、鼻、耳、肛門ではありません」と単刀直入に説明していただきましたorz。そんな尾籠なやりとりはさておき、38年前に読んだ本を探すべくしつこく神保町へ。しかし今回も見つからず。しからば、と新御茶ノ水駅から千代田線に揺られ、ほぼ1年ぶりに千住の街へとくり出したのでありました。アップした情景は、柳原の千草通りにむかう途中、千住東でみかけた民間車検場。自然採光は、やはり素敵な色合いをつくりだしてくれます(ハイライト部の白トビはご愛嬌ということにしてください)。

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2011年1月13日 (木)

坪書斎

Imgp5066ry 古本を漁りに神保町まで出かけたついでに足をのばした墨田区で、シャッターを押しながらほくそ笑んだショットを、見事なまでにブレさせてしまいました。おそらくは他人の迷惑をかえりみることなく、雨乞いなどという罰あたりなふるまいに及んだしっぺ返しなのでしょう。スナップの神様、街撮り者のみなさん、申し訳ありませんでした。深く反省しておりますm(_ _)m。
ところで、なにゆえに古書店めぐりなんぞを思い立ったかといいますと、先日、マガジンハウスが出している"ku:nel(クーネル)"という雑誌で、"赤毛のアン"を初めて邦訳した村岡花子さんの書斎の写真を見てしまったからなのです。瞬時に、「ちいさな宇宙」という言葉が脳裡を駆けめぐったのでした。ずっと全身全霊をかたむけて小さな庭をつくりたいと思っていたのですが、こればかりは土地がなければいかんともしようがありません。が、書斎ならすぐにでもはじめられそうです。自分がこれまでに読んできた本のなかから、これはというものを選りすぐり、手放してしまったものについては再び収集する(できれば当時と同じ装丁のものを)。それをお気に入りの品々とともに排列する。きっとガーデニングにも匹敵する愉しみを提供してくれるに違いありません。お金があれば無尽蔵につかうことができる一方、なければないなりに遊ぶことができそうな点も魅力的です。とりあえずはお金がないのでをつかわず、1畳ほどの机まわりから、坪庭ならぬ坪書斎づくりのスタートです。
アップした写真は東向島駅からほど近い国道6号線沿いで撮ったものです。この道を右に向かって190kmほど歩くと、生家のある海辺の町に着きます。

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2011年1月12日 (水)

雨乞い

Imgp0293a2 街撮り者にとっては絶好の天気がつづいていますが、検査通院が日課となった身にとっては、悩ましい限り。そこで、いっそのこと街撮りができないような天気になれば多少は憂さも晴れるのではと、雨乞いの御札がわりに雨の日の写真をアップすることにしました。昨年の夏、松陰神社通りの脇道で撮った一枚です。

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2011年1月11日 (火)

道と街

Imgp3800p わが国初の近代的な都市計画である市区改正は、道路の改良をおもな目的としていました。もともと山がちな地勢であるため道の勾配がきつく、河川も多いわが国の陸上交通は、もっぱら歩くことが基本で、牛車や大八車などごくごく一部の例外をのぞけば、幕末まで車輪の文化はありませんでした(なお、民俗学者の宮本常一は、在来馬が小型で馬車を曳くのに適していなかったことも理由の一つにあげています。大量輸送手段として水運が発達していたことも影響しているかも知れません)。万延元年(1860)、咸臨丸で太平洋をわたりサンフランシスコに上陸した福沢諭吉は、はじめて目にした馬車が動きはじめるまで、それが乗物であるとは気づかなかったという逸話が、当時の事情を物語っています。開国により輸入された車輪の文化は、またたくまに普及していくことになりますが、歩くことを前提につくられてきた従来の道に馬車を走らせることは困難で、ましてや都市交通の主役として注目されつつあった路面軌道(馬車鉄道や人車鉄道、のちの路面電車)に対応することはできません。都市改造の主眼が、いきおい道路の改良におかれることになった所以です。このとき形づくられたDNAが、日本の都市計画を大きく歪めることになったのではないか。つまり、子どもたちが外遊びできること、住民相互の紐帯を強くすること、あるいは商店街で安全に買い物できることといった街づくりに不可欠な要件を軽視し、ひたすら幅がひろく真っすぐな街路をつくること、そのために区画整理などを押し進めることが都市計画のドグマとなり、かえって街を壊す結果を招来しているのではないか。市街地再開発事業や区画整理事業が進められている街を歩くたびに、そんな思いが脳裡をよぎります。欧米に較べ火災に弱い木造家屋が多く、地震大国でもあるといった事情を勘案しても、だからといって真っすぐで幅の広い街路をつくりつづけることは、もう許されないと思うのです。
アップした写真は、昔ながらの小径や路地がのこる墨田区墨田でのスナップです。

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2011年1月10日 (月)

物語の森

Imgp3741 先日、NHKの首都圏ローカル番組"ゆうどきネットワーク"で、京島のキラキラ橘商店街にある二つのお店のエピソードが紹介されていました。ひとつは、コッペパンで有名なハト屋さんで二代にわたって使われつづけている窯が、戦後の混乱期に先代が鉄屑を集め職人さんと一緒になってつくりあげたものであるというもの。もうひとつは、山田屋薬局のご主人が大切にしている、早逝した父親とやはり若くして亡くなられた母親が使っていた天秤ばかりにまつわるものでした。おそらくはどのお店にも心をうつエピソードがあるでしょうし、商店に限らず職人さんの作業場や町工場、あるいは棟割り長屋やアパート、路地などにも、暮らしが紡いできた無数の物語が眠っているにちがいありません。自分は東京という物語にみちみちた果てしなく広く深い森を歩いている - そんな思いを強くした次第です。アップした写真は、キラキラ橘商店街のはずれ、東武亀戸線の踏切に近い一画で撮ったものです。小料理屋や中華食堂、電機屋さんなどが入っていたいくつかの長屋がとり壊され、見慣れぬ景色がひろがっていました。あたらしい物語を育む苗が植えられるといいですね。

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2011年1月 8日 (土)

区界の住人

Imgp4727 江戸川区松島4丁目と葛飾区新小岩1丁目の境界をたどっている途中、荒川にほど近い一画で遭遇した猫くんです。ブロック塀のあたりが区界となっており、この0.5秒後、わがK-xの轟くようなシャッター音に呆然となった猫くん、塀をとび越え江戸川区側へと遁走したのでした。

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2011年1月 6日 (木)

青べか物語の街で(2)

Imgp4977 境川左岸(北岸)の猫実5丁目から撮った右岸・堀江4丁目の家並です。堀江2丁目から3丁目にかけては、かつて"天才・たけしの元気が出るテレビ"でとりあげられ、全国にその名をとどろかせた堀江フラワー通り商店街があるのですが、いまは元の静けさをとり戻し、冬のやわらかな陽射しを浴びてまどろんでいるかのような趣きを漂わせていました。近いうちにその夕景をご紹介したいと考えています。

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2011年1月 5日 (水)

青べか物語の街で(1)

  Imgp5001p 妙見島からの帰路、堤防沿いに軒をつらねる船宿を目にして、東西線浦安駅の南を流れる境川付近が"青べか物語"の舞台だったことに気づきました。1960年代以降の埋め立てにより、海岸線ははるか南に移ってしまいましたが、川沿いに広がる堀江や猫実(ねこざね)の街には、今なお漁師町の面影が色濃くのこっています。1枚目の写真は、境川が旧江戸川から分かれる西水門付近で撮ったものです。アーチ橋は地下鉄東西線の第一江戸川橋梁で、葛西橋通りの浦安橋から眺めるとこうなります。Imgp4675_2

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2011年1月 4日 (火)

流れる島

Imgp4580 地図を眺めるたびに気になっていた、旧江戸川に浮かぶ妙見島。Wikipediaによると東京23区で唯一の自然島であり、護岸工事がおこなわれるまでは"流れる島"とも呼ばれ、移動をくりかえしていたのだそうです。訪ねたのが休日ということもあって人影はなく、浦安橋のたもとに棲みついている猫たちの姿ばかりが目につきました。アップした写真は、島の中央部にある油脂工場を撮ったものです。

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2011年1月 2日 (日)

荒川の土手から

Imgp4398 元旦に東向島の白鬚神社と浅草橋の鳥越神社にお詣りしたのですが、どうしても連れ合いを撒くことができず、初撮りは不発。ということで、昨年の暮れに木下川排水機場にほど近い地点から撮ったアスファルトプラントの写真をアップします。

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2011年1月 1日 (土)

謹賀新年

Imgp4304 「力を入れてはあきまへん」(六代目鶴沢寛治)という箴言にならい、力まずにたんたんと撮りつづけと思います。この人間国宝は「力がのうてもあきまへん」と言葉をついでいるのですが、そっちのほうは脚力でカバーするということで(^^;。

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