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2007年9月21日 (金)

柏木 2007年初秋(1)

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新宿区」カテゴリの記事

コメント

 
思いついたときにふいと見たいな
と思わせる落ち着ける空間(ブログ)
ですね。

  
税務署通りから青梅街道へとつながる
通りですね。
 
 お地蔵様が移設されたとか、
 「吉乃湯」もタイル画の段階
 (取り壊し前)しか見たことがなく。
 上記の、1~3の写真
 記事のように
 解体前の丘状地帯を
 ちょうど私も同時期に歩いた記憶が
 あります。
 
 私は柏木とか淀橋と呼ばれていた頃の
住人でないので、このあたりの事情を、全く
知らないのですが、坂上交差点から
青梅街道を新宿を見据えると高層建築。
 地続きで新宿があるようでうーむと
 やはり唸ってしまいます。2、30年後
 どうなってしまうのか、と。
 バブル期の建築ラッシュじゃあるまいし。
 私の父は現在65歳ですが
 都内で大学4年間を過ごし、はじめは
 初台で過ごしたといいます。
 先日、定年後思い出したように
 昔から続けていた楽器を手に取り
 西新宿の村松楽器にリペアしたフルートを
 取りに向かったそうですが、学生時と
 見る影もない風景は、やはり異世界に
 映ったようでした。

 「記憶は風景に宿る」
 という言葉をどこかで
 聴いた記憶がありますが、
 当時を偲ぶ開発前の子どもたちの世代に
 なんとなく会いたい、(私が小学生のころ
 までですかね。S54年生)会って今の
 心境だけでも
 聴いてみたいそんな気がします。
 もちろん興味本位でもセンチな気持ち
 を期待してでもなく
 (すみません。いつも長くなってしまい)
 

投稿: アガサ | 2011年2月28日 (月) 18時31分

>アガサさん
コメント、ありがとうございます。
ここから2、300メートルのところに仕事場を構えていたことがあるので、よく歩いた場所です。いつも利用していた中華食堂はかなり塩っからい味つけで、ご飯は「どんぶり飯」という言葉がぴったりくるほど、並盛りでも大盛りでした。作業着姿の客がほとんどだったので、その人たちの味覚に合わせていたのでしょう。もちろん僕も好みでした。この近くで生まれ育った友人に言わせると、労働者とワケアリの女性たちが暮らす街だったのだそうです。
ここで暮らしていた人たちはどこへいってしまったのか。明治以降、東京は貧しい人たちを周辺部に追いやることで拡大しつづけてきたといいますが、いまもあまり変っていないのかもしれません。

投稿: Rambler5439 | 2011年2月28日 (月) 23時57分

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